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吉阪隆正の自邸

  • sumaiinterior
  • 2014年4月10日
  • 読了時間: 2分

今回は、コルヴュジェの弟子である吉阪隆正の自邸を紹介します。

彼は、1950年戦後第一回フランス政府給付留学生として1952年まで早稲田大学の教員のままで、コルビジェのアトリエに勤務した。

そして、帰国後、大学構内に吉阪研究室を設立し、1955年に自宅をつくった。

彼の著書『ある住居』に「自宅」について、「人工の上に住む私の生活は何にも邪魔もされないで静かである。…大地は再び自然の姿を取戻した。その上に私たちの人工の庭が出来た。そればかりか、屋根の上にもう一つの庭がある。…200坪足らずの敷地は、200坪以上の庭を獲得した。」と記述している。

これは、まぎれもなくコルヴュジェの「近代建築の5つの要点」の一部、「ピロティ」と「屋上庭園」を差している。そして、構造システムは「ドミノシステム」そのままのようである。

この住宅の建設は、「ドミノシステム」状態で、一時中断していて、ある期間をおいて「10万円足らずで外壁が積まれ、20万円ほどで鉄の窓や扉がつけられて、雨露も風も防げる空間が」できた。

彼が、資金のやりくりで苦労して自宅を建てたことを記述している。しかし、この時代は、国全体に住宅が不足していて、建築家たちも最小限住宅などを考えて、住宅難に答えようとしていたときでもあた。

彼もそれを意識して、「この人工の土地を国や公共団体が提供してくれれば、1年の収入で住む所を得られるのだから、完全に住宅難は無くなる。」と、言っている。

決して広くはないが、1階内部は、居間・台所の間仕切りは無く、「自由平面」の形態をとっている。

そして、「自邸」より、さらに進歩して建てられたのが、1956年に建てられた「浦邸」である。

彼の住宅建築の名作のひとつである。

 
 
 

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