伊東忠太の住宅
- sumaiinterior
- 2017年3月6日
- 読了時間: 2分
今回は、明治神宮、築地本願寺などを設計した建築家、建築史家の伊東忠太の住宅建築を紹介します。
彼は、1967年に、山形県米沢市に生まれ、父の転勤によって千葉県佐倉市で少年時代を過ごす。 1889年に、帝国大学工科大学造家学科(現・東京大学工学部建築学科)に入学し、1892年に、卒業し、大学院に進んだ。 1893年に、「法隆寺建築論」を発表して、歴史家としての立場を鮮明にした。 1895年に、平安神宮(下の写真)を木子清敬・佐々木岩次郎と共同で設計し、完成させた。
1897年から、帝国大学工科大学講師に就き、1899年には助教授に就任した。
そして、1901年には工学博士を収得した。 1902年から建築学研究のために3年間中国、インド、トルコに留学し、1905年に欧米を経由して、帰国した。 帰国した1905年には、東京帝国大学の教授に就任した。 1909年には、現在の東京都港区三田に実業家の「浅野総一郎邸」(下の写真)を完成させが、1945年の東京大空襲に遭い、焼失して現存していない。

この建物は、平安時代の神社仏閣と内裏をミックスしたような時代離れしたもので、建物の一部に〝四重の塔〟スタイルで付き出ていて、その屋根の上に金の鯱が傲然と輝いていた。
この建物は、「紫雲閣」と呼ばれていて、建材も当時の一級品を使用して、内装調度も贅を尽くしていた。 1910年には、浄土宗本願寺派第22代宗主大谷光瑞の別邸「二楽荘」(下の写真)が完成した。この建物は、当主本人の基本設計に基づいて実施設計を本願寺技士が行った。彼は、この建物の設計顧問として参加している。

「伊東忠太の住宅」
Comments