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村野藤吾の自邸

  • sumaiinterior
  • 2014年4月25日
  • 読了時間: 1分

今回は、村野藤吾の自邸の紹介をします。

彼は、1910年に福岡県小倉工業学校機械科を卒業して八幡製鉄所に入社したが、1913年に早稲田大学理工学部の電気工学科に入学し、1915年に建築学科へ転学して建築の道を歩んだ経歴を持っている。

戦時中に、現在の宝塚市清荒神に古民家を移築して自邸を築いた。河内の国分の集落から旧家を移送したのが原型ですが、増改築を繰り返し当初の面影はほとんど残らなかった。

和風の美しさに魅せられて移築したが、最後は洋風な仕上げとなった。

庭の手入れがが趣味のようで、出入りの男師に指示をしながら庭の作庭を行った。敷地を取りまくサザンカの生垣の切れたところから玄関まで45mほどのアプローチがあるが、その途中に自然石の雁行する延段(下の写真右側)があり、その先に砂敷きの苑路や、切石橋がかかった枯流などを配して玄関まで続く。

彼は、小食堂(下の写真左側)で多くの時間を過ごした。寝室や茶の間の私的空間は別棟で建てられたが、1957年の増改築時に取り壊されて、母屋の西側に建てられ、床高が上げられた。

彼は、自邸の増加改築によって得られた経験が、その後の作品に生かされて行ったようである。

 
 
 

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